フロアコーティングについて思うこと
「実物」といっても、現実の家でなくてもいい。
映画でも、本でも、写真でも、いいのである。
映画を観ることで、実物を見る以上に家のことがよくわかることもある。
K監督の、たとえば「秋刀魚の味」。
娘と父親が住む、ささやかな日本家屋。
進歩的な若夫婦が住む団地の部屋。
あるいは、「男はつらいよ」のTさんの家。
商売をする下町の家らしい、店先と茶の開か障子で仕切られた間取り。
台所の土間から二階にあがる階段。
K監督の場合、「まあだだよ」では小説家が妻と暮らす、こぢんまりした家々がていねいに描かれている。
あるいは、「天国と地獄」では、富豪のリビングでありながらがらんとしてつまらない部屋が出てきて、当時の「洋間」の住まい方がいかに貧困なものだったかを思わせる。
K監督の「転校生」では、尾道の古い家に暮らす若い少年少女の部屋が、ほほえましい。
外国の映画には、部屋や家がたんねんに描かれているものが多いから、いちいちあげるまでもないだろう。
映画もそうだけれど、外国の小説には家のことを描いているものが多い。
誰もが読むものだと、『赤毛のアン』『大草原の小さな家』あたりだろうか。
私は、緑の屋根がひどく常識はずれだ、ということを、赤毛のアンで知った。
探偵小説では、Aのもの。
壁紙の侭まで描いてある。
写真集ではぜひおすすめしたいものがある。
Wさんが写真を撮った『ヨーロッパの家』(K社)というシリーズだ。
なかなか目にすることのできないヨーロッパのふつうの家が、目の前にあるように再現されている。
私は、このシリーズでいろいろなことを学んだ。
そして、私がなんども眺め、なんどもうらやましくてため息をついた家がのっている本が、Mさんの描いた『トトロの住む家』(A社)。
この本もWさんが写真を撮っている。
「あたりまえの家」の、あたりまえであることの美しさが伝わってくる。
私か言葉をつくすよりも、この写真を見てもらうほうがいいかもしれない。
「実物を見る」ことの楽しさを存分に味わわせてくれる本もある。
Nさんの『住宅巡礼』(S社)だ。
そうやって実物を見ているうちに、おのずからわかってくるもの。
それが、あなたが求めているものの本質なのだと思う。
あなたは家にどのようにお金をかけているだろうか。
買うときには数千万円、あるいはリフォームのために数百万円のお金を準備する。
どん、とお金をかけて理想的な家をつくろうとする。
さて、その後には家にちゃんとお金をかけているだろうか。
設計の話と同じように、建てる前に10〇パーセントのお金をつぎこんで、住みはじめたらそのままでいい、と考えていないだろうか。
家全体については急に考えにくいだろうから、収納の話をしよう。
私は、収納家具を三段階に分けている。
大中小だ。
大きな収納家具とは洋服箪笥や食器棚などのこと。
買うときには、たぶん「一生使う」と考えて買うだろうものだ。
結婚するときに質のよいものを買う人も少なくない。
小さい収納家具とは、引きだしを区切るトレイや籐の寵などのこと。
一〇〇円ショップで買う人も多い収納グッズだ。
必要なときに気軽に買い足したり、汚れたときには捨てて買いなおすこともあるだろう。
そして、中とはその中間。
押入れ箪笥やワイヤーシェルフ、小さな棚、カラーボックス。
数千円から一万円程度と微妙な値段だし、めったに壊れることもないので、けっこう長く使いつづける種類の収納グッズだ。
さて、使いやすい収納を考えたときに、この「中」の収納家具に投資をすると、とてもうまくいく。
模様替えなり引っ越しなりのときには、まず「大」の家具を配置する。
すると、基本的な動線ができたり、大きくどんな種類のものをどこにしまうかという収納場所が確定したりする。
その動線にしたがって、必要なところに、ふさわしい大きさの「中」の家具を置くことで、とても使いやすくなるのだ。
それまで使っていた家具の大きさが合わなかったり、入れたい物が入らなければ、思い切って買い替える。
言うまでもないが、「小」はいくらでも使いまわしすればいい。
「中」の家具がその場所に合わないのに、「まだ使えるのに、もったいない」などと無理に使うと、使い勝手が悪かったり、人がすぐぶつかって痛い思いをしたりなど、お金には換えられないストレスが生まれる。
目の前のお金はもったいなくても、かけるべきときに、かけるべきところに、きちんとお金を使うと、毎日の生活は格段に気持ちがよくなる。
そういうお金の使い方は無駄づかいではなく、生きたお金の使い方だ。
この「生きた」お金の使い方は、住みはじめる前にはなかなかわかりにくい。
住みはじめて、家の使い勝手がわかってきて、お金をかけるべきところが見えてくるものなのだ。
それは「押入れには、ちょうどぴったりのサイズの棚が必要だ」「階段には手すりが必要だ」などという小さなお金から、「トイレは風呂場の横に移すべきだ」「リビングには子どもが勉強できるコーナーがあったほうがいい」などと大きなお金まで、幅があるだろう。
また、ちょっと工夫すればお金をかけなくてもできることもあるだろう。
だが、小手先の工夫ではどうにもならないとわかったら、「ちゃんとお金をかけると、かけたお金以上の住みごこちが手に入る」と考えてみてほしい。
衣類や食にはお金をかけるのを厭わない人でも、家にはあまりお金をかけない人もいる。
それは個性ではあるけれど、私は、それ以上に日本人の「住まい」観がかかわっていることがだんだんわかってきた。
かんたんに言えば、代々つづくむかしからの家に住んでいるのでもないかぎり、私たちはどこかで「この住まいは仮住まい」という感覚を持っているのだと思う。
ひとつには、明治以来の都市と農村との関係。
若い人は、地方の農村から都市に勉強や仕事のために出てくる、というパターンが長くつづいた歴史がある。
そのため、都市の住まいは、一時的に住んでいるだけの場所で、なにかあれば地方のほんとうの家に帰るのだ、ほんとうの家はあっちなのだ、という意識ができたのだと思う。
もうひとつには、戦後の住まいのあり方。
「いずれは庭つき一戸建て」と住宅双六で言われたように、家は次々ステップアップしながら住み替えていくもので、いまの家はその途中段階、という意識が多くの人の気持ちのなかに浸透したように思う。
そして、たとえば高度経済成長期の企業戦士たちが双六の上がりに買った家も、いま、また売りに出されたり、壊されて建て替えられたりしている。
そして「やっぱりマンションが安心」と住み替える人も多い。
いつまでも、「ここがほんとうの私の家」にはならないままだ。
私たちの住まい観に、どこか「仮住まい」意識があるために、家にきちんとお金をかけない習慣もできたのではないだろうか。
借家の手入れにお金をかけるのを「もったいない」と思うように、自分の家でも無駄なお金をかけるように思えてしまうのでは。
でも、たとえ住み替えるにしても、いま、あなたが住んでいる家は、あなたの家なのだ。
あなたの居場所にほかならないのだ。
いまの住みごこちをよくすることで、いまのあなたの生活は気持ちよくなる。
ひいてはあなたがお金を稼ぐエネルギーを生みだしたり、家族に注ぐ愛情がさらに深くなるかもしれない。
フロアコーティングを利用なら此方のサイトです。
今すぐ見つかるフロアコーティングの安心の優良サイトの情報を公開中です。
フロアコーティングの情報比較ならこちらのサイトです。